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恵比寿の美容室
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東日本大震災では岩手県宮古市田老地区(旧田老町)も津波で壊滅的な被害を受けた。田老地区は明治29年以来3度も津波の被害を受けた。昭和8年の三陸地震津波を教訓に日本でもトップクラスの防潮堤を備えた。だが今回の津波はその防潮堤を越えて地区を破壊した。避難した人たちは「防潮堤があるので油断があった」と話している。

 鳥井隆さん(81)は、今回の地震で2度目の津波を経験した。しかし、三陸地震津波のときは4歳で、ほとんど覚えていない。

 鳥井さんは「防潮堤を造ったからと油断して逃げなかった人もいた。過去の教訓を今回の津波は超えてしまった」と悔やんだ。

 美容室を経営する大下和子さん(65)は、お客さんにパーマをかけている最中、津波警報のサイレンを聞いて逃げた。「若いころから『何も持たず、高いところへ逃げろ』と言われてきた。お客さんの髪を途中に逃がして、言われてきた通りにした」という。

 しかし、津波の到達は予想より早かった。「地震が起きてから30分ぐらいは逃げる余裕があると思っていたのに、あっという間に津波が来た」と振り返る。

 田老地区の人口は約4000人。大半は高齢者だ。夜間に襲った三陸地震津波に比べれば逃げやすい時間帯だったが、若い人たちは外に出ていて、家にいた高齢者が逃げる間もなく津波に流された。

 ある70代の女性は「年を取った母と2人暮らしの息子さんが『おふくろを(家に)おいてきた。おれは馬鹿だ』と叫んでいた姿を見た」と話す。その息子によれば、体の不自由な母親は「また(津波は)3メートルぐらいだから、上がっているから」と2階に上がった直後に家ごと流されたという。

 宮古市の15日午後2時現在の死者は157人、うち田老地区の死者は20人。市全体では1658人が行方不明。市の人口のおよそ4人に1人、8836人が避難している。 (原圭介)

 田老地区の津波 明治29年6月15日の明治三陸地震津波では、岩手県内で2万1千人を超える死者が出て、そのうち田老町(村)では1859人の犠牲が出た。昭和8年の三陸地震津波では死者・行方不明者911人。このときの津波の後、全国からの義援金や村の借財などを防潮堤の建設に充て、昭和54年、長さ2433メートル、高さ10メートルの日本でも指折りの規模を誇る防潮堤が完成した。


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